この事態における学校と保護者と地域四方山話 実体験編 <栗木>

 世界中で、人類の「生命」を守るための取り組みがなされています。医療現場でご自身や家族の危険を感じながら懸命な治療にあたってくださっている多くの人々、感謝の言葉も見つかりません。事の大小を問わず「生命」の安全確保に向けて自粛したり、知恵を出し合ったりしている今、「想定外」の出来事の連続に葛藤しながらも、今まで築いてきたものを根本から見直す、そんな機会が訪れています。とりわけ学校は、その「見直し」を最も余儀なくされています。しかし、現実は、休校に次ぐ休校で「見直し」どころか「やり直し」の連続。正直疲れてしまっている学校関係者も多いのではないでしょうか。その気持ちは痛いほど理解できます。

というのも、個人的な話になってしまいますが、この3月末まで現職として学校現場にいたからです。コラム一回目はその経験と感じたことを「生き証人」として記します。
 
昨年末頃から囁かれ始めたコロナ感染への心配。大変なことになりそうだと思いながらも、どこか他人事でした。目の前に迫った卒業式に向けて学校が一丸となって動いていた時期でしたから。2月末、状況は一転しました。教頭という立場上、様々な決断や先を見越しての準備はもちろん、地域や保護者への説明や対応にも追われました。一つ計画して対応しても次の日には違う事態になってやり直し。次の日ならまだしも朝と夕方では対応を変えないといけないこともありました。緊急メール配信には大変お世話になりました。お詫びの連続でしたけれども。
 
中でもつらかった対応は、「卒業式への来賓、在校生参加不可」の時です。勤務校は小規模校で地域密着型の中学校でした。保護者も地域関係者も「おらが町の子どもたち」として見守ってくださり、80%近い生徒が地域行事にボランティア参加する学校です。ある区長さんは「あの子たちを祝ってやれんのか」と残念がってくださいました。今でもその時の声が頭の隅に残っています。職業人体験でお世話になった地域の花屋さんが、「人が少なくて会場も寂しいでしょう、これを飾ってください。」と大きな大きな胡蝶蘭を貸してくださいました。生徒がボランティアで訪れていた児童館の職員さんが、「会場に入れないのならせめて」と手作りの横断幕をもって沿道から見送ってくださいました。つらいのは学校だけではなく、地域の皆さんも一緒でした。それでも学校に力を貸してくださることにただただ感謝でした。地域とともにある学校づくりをすすめてきてよかったと思いました。
 
卒業式で、地域の方々の思いを卒業生に伝えました。「皆さんを直接お祝いできなかったことをとても残念がっていらっしゃいました。皆さんは、地域の一員として今まで育ててもらいました。そして、これからもその一員であることに変わりはありません。地域を守り、地域を育てていける人としてこれからも温かい気持ちを大切にしていきましょう。」と。卒業生は頷いて聞いてくれました。学校のホームページ作成機能を使って、卒業証書授与の様子を掲載しました。ホームページをご覧になれないご高齢の方もいらっしゃるので、その写真と文章を通信にして回覧して頂きました。今思えば、出席いただけなくてもメールで餞の言葉を頂戴したり、あるいは通信をお礼の手紙に添えてお渡ししたりすればよかったと後悔しています。が、バタバタしているうちに退職してしまいました。
 
今回のことで、もしかして「来賓参加を見直せた」という方もいるかもしれません。でも、学校というのはやはり学校だけで完結するものではないし、教職員や児童生徒だけの場ではありません。いずれは地域に帰っていく児童生徒を預かって育てるのが学校です。新学習指導要領で求められている「社会に開かれた教育」の必要性を実感しました。また、今までやってきたことの本質が想定外の事態の時に表れるとも思いました。

 「見直す」のは時短のためではありません。「不易流行」、芭蕉の精神です。


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